終戦の年、1945年の日本の自動車生産台数はわずか1,461台、全てがトラックであった。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)はトラックの生産しか認めておらず、乗用車を生産できるようになったのは1947年に入ってのことだった。しかし、日本の乗用車産業は、技術力、生産力で欧米メーカーに大きく遅れていた。この遅れを取りもどすため、日産、いすゞなどのメーカーは欧米メーカーと技術提携を結び、さまざまな技術やノウハウを吸収する。一方、創業以来「日本人の頭と腕」を技術開発の基本精神としていたトヨタは、欧米との技術的な格差を自覚しながらも、自主技術の開発に取り組んだ。
1960年代に入り、豊かさをとりもどした日本では、マイカーへの要望が高まってきた。これに応え、経済的な小型車や軽自動車が次々と登場、本格的なマイカー時代が到来。1970年代に起こった2度の石油危機をきっかけに、燃費が良く高品質な日本車の評価が海外で高まり、輸出量を急激に伸ばした。こうして、日本の自動車産業は独り立ちし、国際競争力を強めていった。
1980年には、国内生産台数1,100万代を記録し、日本が世界最大の自動車生産国となった。その後、「バブル崩壊」の影響、海外生産の拡大によって国内生産台数は減少するが、さまざまな企業努力を重ねながら、日本の基幹産業としての地位を着実なものへとしていく。
2005年、世界で生産された自動車は約6,647万台。これに対し、国内外を含めた日本車の生産台数は2,141万台と、その3分の1近くを占めるに至っている。
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